さてさて、九州シリーズ第三弾でございます。
第二弾の韓国岳はコチラをば↓
ukkarisangakubu2.hatenablog.jp
第一弾の開聞岳はコチラをば↓
ukkarisangakubu2.hatenablog.jp
本来であれば阿蘇山に登るつもりでしたが火山警戒レベル2のままこの日を迎えてしまいました。やはり砂千里とか中岳とか歩きたいし登りたいじゃないですか。なのでレベル1を待つこととします。そんな中バックアップパターンとして用意していたのが、
この市房山でございます。何?どこにあんの?知らな~い。と、お思いでしょう。しかしこの山、侮ることなかれ、1700m超えで標高差900mですのでとても登り甲斐のあるお山なのですね。しかも巨木フェチ苔フェチにはたまらないとこなんです。
実はこの山、40年前小学6年生の時に一度登っておりまして今回はその記憶をたどってみようという自分なりの企画をおっ立ててみました。
■2019年7月31日
登山口が不明瞭でキャンプ場のさまざまな看板に翻弄され結局のところ林道最終地点まで車で来てしまいました。仕方がないのでこのままここから登ることを誓います。あ、私は何を言ってるんだろう、仕方がないのでこのままここから登り始めることにしました。
なんだか神聖なところのようです。間違いありませんね。ここは神妙に登ることにしましょう。
巨木が見られるようになってきました。
なにやらものすごく大きい木の切り株が。それとはなしにスマホ置いておりますが。
出たっ!巨木っ!圧倒的な大きさ・・・。巨木を見ると嬉しい汁が脳内から分泌されてしまう私としてはこの上ない喜びに満たされてしまいます。
とりあえず自撮りでツーショット。嬉しい瞬間です。
八丁坂というところを市房神社へ向けて歩いて行きます。
新夫婦杉とあります。平成5年に夫婦杉が倒れたと書いてありますのでこの新夫婦杉は初見でしょうか。とはいえおそらく40年前に登った時も普通に立っていたと思われますので初見ではないですよね。実は先ほどからこうやって歩いておりますが40年前のことを全く覚えていないことに気が付きます。やはり40年という月日は短いようで長いのでしょうか。
そんな新夫婦杉を見上げますと、向かい合っているのかそっぽを向いてるのかどちらでしょうかねぇ。
お次は千手観音杉とあります。
これもデカイっ。あ、また汁が出てきました。
八丁坂を登りつめたところからの千手観音杉。確かに千手観音!
いやぁ感動です。もうね感動しかないですよ。
巨木の表面には苔がびっしりと覆っております。これは共生でしょうかね。お互いがお互いの為に生きているということなのでしょうか。
八丁坂を登りつめてしばらく登ったところに市房神社がひっそりと立っておりました。この光景も全く覚えがないんです。じゃぁあなたは40年前の市房山登山で何を覚えていたの?となりますよね??覚えていることはあるのですよ。では発表致します。
前泊の民宿にてテーブルゲームNamcoのパックマンで遊んだこと・・・。
やっぱりそんなとこですよね。40年前の小学6年生のやることといえば。話は逸れていってしまいますがその当時のテーブル筐体は相当な額だったように思います。それなのによく小さな民宿に置いてあったなぁと今さらながら感心しております。
さ、話を大きく戻しましょうか。山頂からの縦走はやめてと書いてありましたので一応予定としては縦走でしたがやめてとあれば素直にやめましょう。そんな単独中年男が無理をしてやめてと言われているとこ行って遭難とかってみっともないですよね。あとこの「壮快」という文字に反応してしまいました。「爽快」じゃぁないんだなと。壮快という単語があることを初めて知りました。
神社を越えると本格的な登山道となっていきます。後方からクッ・・・クッ・・・と声が聞こえてカサカサと音がしたので見てみるとなんとヤマドリではありませんかっ!しかもつがいでいらっしゃいました。かわいいですねぇ!
サルノコシカケon巨木。いやぁさっきから思いましたがココ市房山は景色を楽しむのではなくとにかくこの自分を見てくれ感がスゴイなと思いました。とても見どころがありすぎです。歩いていて次は何かな?という期待が生まれてきますよね。
このような標識も初めて見ました。←と位置が真逆に表現された珍しい標識です。普通だと「←山頂」「登山口→」だと思うんですよね。ビジュアル的にもその方が頭に直に入ってくると思うのですがこの感じが市房山なんでしょうか。
ヒーコラヒーコラと急登を登りようやく6合目です。ここらで本格休憩をとります。だいぶ汗もかいてきました。ここで冷えた岩に身を寄せ火照った体温を岩に取ってもらいました。とても冷たく気持ちがよかったです。


この森には「古(いにしえ)」をとても感じますねぇ。浅い森ではないことは巨木や湿った空気感が物語っております。いやぁ40年前を思い出しますかねぇといった軽い気持ちで挑んだ山ではあったのですが思いのほか芯にずしりときております。
おっと目印ピンクリボン長すぎっ!とおもいましたが、
落し穴から守ってくれてたのでした。やさしいお気づかいありがたいです。
影紅葉。カエデかな?キレイだなぁ・・・。
あ、これはサルスベリでしょうか。肌色の木というのはとても珍しい気が。
遠く見通せるところに乗り上げました。もうすぐ8合目でしょうか。
妖精くんを見つけました。ちょっとイタズラ好きな子のようですね。
やっとこさ8合目に到達しました。この辺りから亀足です。ずーっと急登ですので息が続きません。ひじょーにツライ時間帯となってしまいました。
とは言ってもこの山はあなどれません。この脚線美?くびれた腰つき?エロティシズムを感じました。木でこんな感覚になるのは宝篋山以来でしょうか。ほんと面白い山ですねぇ。市房山は。
9合目から見上げたあれが山頂でしょうか。
景色はこのようなザ九州山地といった風情。とてもイイ気持ちです。
9合目からヒィヒィ登ってあれがピークか?と登りつめた先にあるこの看板は間違いなく「あなたは間違いなくここをピークと思って登ってきましたね?残念ですがピークはまだ先です。とはいえあと5分あと5分で着きますから頑張ろう!」と書いてあるように思いました。ホント野呂圭介が持ってるかと思いました。(古っ)
そしてなぜか「仰げば尊し」が頭の中で流れ始めました。小学卒業登山だったからでしょうか突如として私の頭の中を占拠したこの曲になんの意味があったのでしょうか。40年前とシンクロするような事態になってしまったのでしょうか。さきほどからいやに小学生のころの自分を思い起こしてたからでしょうか。とても不思議な感覚になりました。ひょっとしたら単に脱水で朦朧としてただけかもしれません。
さ、そうはいっても一歩一歩進んで行けば頂上に着きますといった田部井さんの言葉を思い出し本日のビクトリーロード。
市房山頂上に到着いたしました。そんなに時間は経っていないのだけど見どころが満載だったからでしょうかひじょーに長い時間登っていたかのような錯覚に陥っておりました。
心見の橋。気になりますよねぇ。実はこれを見て再び40年前にタイムスリップしてしまいました。確かにその当時はそういう橋があるというのを聞いており、実際に渡った者、渡れなかった者の話が耳をかすめておりました。じゃぁお前は?となりますよね?私はただただ疲れていたように思います。体力がほとんどなかった私は道中はみんなに遅れまいと必死に登っていたと想像がつきます。頂上に登ってもう何もする気もなかったのでしょうこの心見の橋はその当時は見にも行かなかったのでした。
だけど、40年たった今、50のおっさんは小学6年生よりもずいぶんとヤル気満々です。
こうやって書くとお前の少年時代はどんな少年だったのだ?と気になりますよね。道中全く思い出せなかったのに自分自身のことは登るほどに鮮明になって思い出してくる。なんだか不思議な感覚です。そんな私の少年時代は、
全く協調性の欠片もないあまのじゃくで自分よがりな子。
そんな子でした。そうなんです、ある意味ハナクソ野郎だったのです。まぁ今はハナクソ以下ですけど。
そんな心見の橋は是非とも渡りたかった。今回の目的はコレ一つだったと言っても過言ではありません。なんだろうねぇ。少年時代の過去を認めつつ今は普通に仕事をし普通に結婚をし普通に暮らせて行けている。なので心見の橋も普通に渡れる気がしたんですよね。
これが心見の橋です。山頂から岩稜線を辿って行くと現れます。上から見ると普通の岩なんですが、
横から見るとこのように挟まった橋なんです。しかも落ちたら谷底までまっしぐらです。コレは怖い。心見とはよく言ったもんだ。
40年ぶりにチャレンジ開始!掴みどころのない岩で微妙に滑るし全体重載せると岩ごと落ちそうな感覚。コレまじめに怖いです。なんだか妙な意地もあったのかなんとかかんとか渡ることは出来ましたが危険なので無理に渡ることはないと思います。このように横からの写真が撮れているように迂回路もありますからね。
なぜかとても爽快な気分になりました。先ほどの看板の言葉を借りれば「壮快な気分になりました」
いやぁ・・・。こんな気分になった登山はあとにもさきにもコレっきりでしょうね。とてもこれまでの登山とは異質のタイムスリップノスタルジー登山。堪能致しました。
あ、二百名山なのでスタンプもらいました!まさかの心見の橋。